hiroto-o's diary

とある大学の大学院博士課程を何とか卒業して、とある金融の仕事をロンドンでしています! リンクはご自由に♪ メールはhiroto_o20[at_mark] hotmail.comまで。([at_mark]は@に置き換えてね)

台湾(澎湖編)

さて、台北から飛行機に乗って澎湖へ。
そもそもこの澎湖(ポンフー、Penghu)諸島、僕も今回の台湾行きで初めて知ったくらいで、日本ではあまり有名でないかも知れない。
台湾から中国まで1/3くらい進んところにある離島で、
「台湾のハワイ」とも言われる、珊瑚礁が生息する海の綺麗な南の島だ。



5/3当日に空港で航空券を現地調達し、澎湖諸島のメインアイランドの澎湖島の中心「馬公(マーコン、Magong)市」へ。
飛行機で片道NT2000≒6000円で40分くらい。台北からはかなり気軽に行くことが出来る。
飛行機の窓からはエメラルド色の海が広がり「ああ、南の島に来たんだな」と実感。
ガイドブックを見ながら何処を見て回るかに考えを巡らしながら、夕方4時くらいに馬公空港へ到着。


空港の案内所で、YHへの行き方を聞いてバスを待つ。このとき、両替して小銭を多めに用意しておいたほうが良い。バスでは基本両替は出来ない。
同乗していた現地おじさんに場所を教えてもらいながらYHへ。
あの時のおじさん、僕が中国語を話せなくて全部ボディーランゲージでかなり面倒だったと思うけれど、本当にありがとう。


澎湖は、台湾本島と中国大陸の間に位置し、台湾本土、中国だけでなく、日本、オランダ、スペイン、フランスなど様々な国の影響を受け、歴史の渦に大きく翻弄されてきた場所だ。その爪痕を今に伝える場所を、自分で目で見たかった。


馬公は歩いて回れる大きさだ。YHに到着して荷物を置いた後、馬公市を散策する。
既に、夕方から夜に移り変わらんとしていて、辺りは薄暗くなっている。
最初に訪れたのはYHから南へ歩いた、旧日本軍の駐在跡。


当時の状態から全く手が加えられていない模様で、薄暗いゴーストタウンと化している。一人で歩いてたから結構迫力あったよ。雰囲気に飲まれそうだった。
そして、その横には大きな記念碑が建てられている。


「毋忘在莒」とは、「莒にいることを忘れるな」という意味。故事成語で、戦国時代に燕の国に攻め込まれた莒の国が、国家滅亡の危機から大逆転して何とか亡国を免れた、という話に因む。自分達が莒にいることを自覚して国を守れってことなのか。この碑は、中国大陸に更に近い台湾領である金門島でも見られるらしい。
http://www.kmnp.gov.tw/jp/index.php?option=com_content&view=article&id=146&Itemid=192


軍事的な最前線という澎湖島の位置付けは今でも変わっておらず、この碑の周りには軍の拠点や警察の本部がある。物々しい雰囲気の中、歩いていくと馬公市街へ。天后宮や四つ目井戸や人で賑わう店を回ってYHへ戻る。中心街は観光客や住んでる人でとても活気がある。その後友達と合流して夕食をとった。
澎湖島はもともと「漁師の島」と名付けられた。名の示す通り新鮮な海の幸に恵まれている。特に海老とかは値段の欄が「時価」と書かれている。僕は実は海老や蟹は苦手なのだけれど、それでも他の魚を食べたらとっても美味しかったし、肉料理も意外と豊富。台湾ビールも美味しかったしとっても満足だった。


夕食中に、明日から何をするかをみんなで予定を立てた。
次の日(5/4)はバイクで島まわって、その次の日(5/5)は澎湖島の更に南の島の七美(Cimei、チーメイ)へツアーでシュノーケリングしに行くことにした。
実は、僕は当初、5/5日の午後に台北に戻る予定だったが、ツアーが夕方までかかるということで翌日5/6の朝に台北へ帰ることに変更。後から考えると、このときの決断は最善だった。


YHに戻ると、目の前に架かる橋が虹色にライトアップされている。レインボーブリッジと呼ばれている橋。


翌日(5/4)は朝からバイクで島を散策した。馬公市の外となると距離があるので歩きではきつい。だが、その一方でバイクがあれば1日程で島を回れる。排ガスや塵が多いんで自動車、ましてやトラックの直後でバイクを運転するのは辞めた方がいいけど。文字通り「後塵を拝す」になるなあ、と。そんなことを思いながら走っていると、辺り一面に広がった砂浜へ到着。

しかも、周りには誰もいない。バイクを運転してきたうちら3人だけ。そんな開放感に浸り、目の前に広がる青い海を満喫する。こんな感じ。別の場所では、波打ち際のハンモックに揺られて昼寝したり、どこまでも続く一直線の道路をバイクで走り抜いたり、海水浴したり。この頃からだんだん日本に帰りたくなくなってきた。


夜は、新郎新婦とも合流して夕食。このとき分かったのは、翌日5/5夜に花火大会が島全体の大規模な花火大会がYH前のレインボーブリッジで行われること。

それに合わせてダンスステージがあるらしい。ダンスは地元のダンスサークルが主に出演するとのこと。みんな、酔った勢いも手伝って「もしかしてうちらが、結婚式でやった踊りをそのままステージでやっちゃったりね(笑)」なんて話しながら。


日本に帰るとか考えたくないわぁ(笑) 楽しい馬公の夜でした。


翌日5/5も、朝から素晴らしい快晴。今日は澎湖の南の七美へ。行きの船では連日の早起き/夜更かしで眠くて寝てた。1時間くらいかな。船に揺られて七美へ。この「七美」という名前、由来は400年以上前の出来事に由来する。倭寇がこの島に乗り込んできたとき、7人の女性は襲われることを嫌い井戸に身を投げた。お墓にしたその井戸からは、7本の木が生えて400年にも亘って島の潮風を生き抜いてきた。島民は、その7本の木を7人の女性の分身として心の拠り所にしているという。そんな、日本人にとっては複雑な由来がある。
(写真のソース:http://www.tncsec.gov.tw/b_native/b01_content.php?area=ph&c05=&c03=13&num=&a=0101)

さて、その七美。現在はとても綺麗な観光地になってる。もともと漁のために作られた雙心石滬(写真参照)は島の北側の崖の上から実際に見た。

潮が干くと魚が陸で囲まれたところに閉じ込められるという仕組み。観光客は多く、知り合いになった人もいた。


その後お昼を摂って島の南側の砂浜へ。予てから楽しみにしていた人生初のシュノーケリングだ。あの器具を付けると海底を向いていても息が出来ることに感心しながら、珊瑚礁を見ていた。普通に表面モジャモジャの珊瑚礁もあったけど、渦巻き状珊瑚礁もあって(こんな感じ:http://www.messersmith.name/wordpress/wp-content/uploads/2009/12/spiral_coral_IMG_3635.jpg)、これってアルキメデスの渦巻き曲線だよね、なんて思いながら。シュノーケリング中は、インストラクターの人が先頭になって浮き輪を持っていて、それに列になって前の人に掴まっていてればよい。泳ぐことはなかった。ただ、水深が一時10〜20メートル以上と思われる場所の上を進んでいたから、しっかり掴まっていなかったら大変なことになってただろうな。


七美から澎湖島へはまた船に乗る。往きは屋内にいたけど、帰りはデッキに出た。

潮風と眺めがとっても気持ちよかった。
島に帰ると既に夕方。今夜は花火大会「澎湖海上花火節」。ゆっくりと最後の台湾の夜を過ごすんだろうなと、そう思ってた。。。



そのとき友達から連絡が。「どうも、本当にダンスステージに上がれるかも知れない。」 「・・・本当に?(汗)」


どうやら、前日の夕食でお酒を飲みながら話したのを受けて、新婦さんが花火大会の主催者(=澎湖縣観光局長)に交渉しているらしく、その結果がもうすぐで分かるという。そして、リハーサルを見てもらった結果、何と、ステージ上で踊ることが決まってしまった。「本番ではもっと大きな声で歌ってね」という注文はついたけどね。緊張を解すためも含めて、僕らは本番の前に何回も再練習した。


ただ、「いやー、すごいな〜、不可能っぽいことでも可能になるんだー」と心の中のどこかで、人ごとのように思ってた。と言うのも、踊る予定の時間は花火の終わった後。見ている人も疎らだろうし、開会前のステージの前には多くて50人くらいしかいない。


しかし、花火の始まる直前にステージ上でプロポーズをする人がいるらしく、結婚式の余興を飾った僕等のダンスは、そのプロポーズの直前に急遽変更された。花火が始まる前の最も見物客が多い時間帯である。実際にその時間になってステージに上がると、そこには軽く5、6000人の聴衆が。島中の人の大半がこのステージ前に集まっていると言っても過言ではない。ここまできたら全力で臨むしかない。何とか歌って踊りきりました。


そうして、夢うつつで、「あー、日本に帰りたくないよー」とみんなで言いながら花火を見てました。「こんな旅って一生で経験出来るのかな。」

花火大会が終わると、何と、日本から取材に来ていた新聞社の方のインタビューを受けました。同じYHに泊まっていたらしい。実際に記事にされたかは分からないけど、初めての経験にまた夢うつつになってしまった。どうやら、台湾政府が澎湖を観光で日本にアピールしたいらしく、その一環で取材にきているらしい。


そのあと、夕食を食べに市街地へ。歩いていると、昼間七美で知り合いになった観光客グループと再会。その人達もさっきのステージを見てくれていたらしく驚いていた。あと、空港で声を掛けてくれた人もいた。軽く芸能人気分に浸れました(^^)


夕食は阿華滷菜というお店へ。排骨麺が有名で雑誌にも取り上げられたそうだ。そして、店主は日本の歌に詳しく何曲か披露してもらった。「お酒は置いてないんで、そこのコンビニから買ってきて飲んでね。」 この辺の自由さもとっても気に入った。結局、澎湖最後の夜は、YHの門限の夜中12時まで遊び尽くした。


思えば、もし最初に予定した通り、5/6の夕方に台北に帰っていたとしたらどうだろう。今夜の出来事は経験出来なかった。もともと5/6に帰る友達から聞かされて、多分一生後悔しただろう。


翌日5/6。空は昨日までの快晴からはうって変わって曇っていて今にも雨が降り出しそう。帰りのタクシーにはYHに泊まった友達みんなで乗り込んだ。車の中では、Gwen Stefaniとか日本で聴いたのと同じ曲が流れている。このまま日本に帰るんだな、やっぱり。はぁー、現実に引き戻される。。。 If I could escape and re-create a place as my own world... 〜Sweet Escape - Gwen Stefani


馬公空港に着いたら飛行機に乗って台北へ、その後すぐ台湾桃園国際空港に移り成田へ。往きのようなエグゼクティブクラスではなく、普通にエコノミークラスだった。こうして、台湾への旅は終わりました。


今まで、そんなに多く旅行しているわけじゃないけど、これ以上の旅ってあるのかな?と思う程、最高の旅でした。
おしまい。


*英語訳も付けようと思ったけど、力尽きますた・・・ 読む人いないだろうし。